高橋尚子の素晴らしい人格を知りました。
昨日の名古屋マラソン。
高橋尚子は、10キロにも満たない距離でいきなり失速。
体が乗ってなかったのは走りを見ていてもわかるほどでしたが、とにかく顔色や肌のつやが悪かった。
前日の映像でも、相当の疲労感、無理した形跡が、顔のこわばり、肩の力の入り具合に現れているように感じていました。
敵なしと言われていた選手が、集団から遅れ、後続の選手に抜かれていくのはつらいことだと思う。
けれども高橋は、淡々と走り抜いた。
いや、淡々とではなかったのだろうと思う。
走っていると様々な感情が湧きあがってくる、つらい、もうやめたい、そうかと思うと応援に励まされて元気になり・・・体が思うように動かないのは心理的な面でも相当な負担だったと思う。
高橋が走り抜いた姿に感動しました。
それもゴール後にはきちんと自分が走ってきた方向に一礼をして、御礼を言う。スポーツマンの鏡です。
沿道の応援がすごかった・・・と本人も言っていましたが、みんながただただ走る高橋の姿に思わず声をかけずにはいられなかったことだろうと思う。
心臓病を患った女子高校生(高橋と交流がある)がレース後の高橋をたずねたとき、高橋の姿に感動したと伝えると、「自分の姿を見て、励まされると思ってくれる人が一人でもいれば・・・と思って走ったんだけど、そう言ってもらって、私が救われたよ~ありがとう」と女子高生に言った。
なんて心がフラットな人なんだろうと、感動しました。
走りが淡々として見えるのは、心が淡々としているからなのだ。
目の前にあることに、ただただ取り組む。平常心とはこういうものではないか・・・。
高橋の人格の素晴らしさを知った。
オリンピックには行きたかっただろうし、悔しかったに違いないけど、今回のレースでは、高橋はそれ以上のものを得たと確信している。