昨日ダライ・ラマがトランジットで日本に立ち寄り、インタビューに応えた。
非暴力を貫きつつ、問題解決の道を開こうとする姿勢はいつもと変わらず、しかし強い口調でチベット問題と聖火リレーについて語った。
主な論旨は、次のようなことであったと思う。
チベット問題について口にすることは、誰も止めることはできない。それは言論は自由である。しかし暴力は認めない。
しかし今起こっているチベット問題の根源的なものは、その言論の自由が確保されていないこと。チベットの自治が紙の上の自治であって、純粋な自治ではないこと。
私は、独立を求めているのではなく、本来の自治がなされることを望んでいるだけである。
中国と敵対するつもりはなく、友として話をしたいと思っているが、中国には自分のことを悪魔だと言っている人がおり、それを信じている人民がいることが悲しい。
一般的に情報統制がされてない国の、普通の国民は、ダライ・ラマの話が至極当たり前に受け取れるはずである。
ジョークをはさみながらのインタビューをみると、私は、その強さを秘めた穏やかさに、いつも驚きと尊敬の念を抱く。世界で、多くの人が支持するのは当然のことだろうと思う。
中国では、今回のチベット問題以降、ナショナリズムが台頭していると報道されている。裏側には中国政府の本当の思惑があったのではないかと疑いたくなる。
昨年放送されたダライ・ラマのインタビューをyou tubeで見て、感銘を受けた言葉がある。
中国横断鉄道(チベットへと観光客を運ぶ)の開通についてどう思うか聞かれ、「鉄道ができることに問題があるのではなく、それを使う人の”心”の問題である」というような返答をしていた。
様々なことに通じる深い言葉である。
私になりに理解したのは、たとえば、かなづちは家を作る道具であるが、使う人によっては破壊する道具にもなる・・・その使う人の心で道具や情報がもたらす結果、効果は変わってくる。
使う人の『心』の問題・・・その心がどこに向かっているかで物事の方向が決まる。
聖火が平和を運ぶことができますように!